「池上彰の現代史を歩く」というコラムを読み、感じたこと

我道楽

2019年5月20日の日経コラムに掲載された「池上彰の現代史を歩く ~昭和の悲願 沖縄返還 戦後は終わったのか」を読みました。
ふと、以前にテレビで放送された「池上彰の現代史を歩く 知っているようで知らない沖縄~返還から47年の真相~」を思い出していました。

何の準備で何が「整った」のか?

番組に映った沖縄の基地は広大で、遠いところからの撮影を見ただけに過ぎませんが、その景観は、すべてにおいて整ったという印象を受けました。
それはいったい、何においた準備で、何に対して整えているのだろうかと不思議に思います。

普天間基地から辺野古基地へ移設という問題は、沖縄県民投票の件もあって、今や日本国民 の関心は高いと思います。
基地があることによって起こる、事故や事件が何十年も相次いで起きて、その度に犠牲者が生まれ、そしてそれはアメリカ様に軽く処理されてしまう。そういう事でした。
そこに住む人々の怒りや苦しみが伝わってきました。

日米の返還協定や地位協定、貿易としての国と国のつながりなど正直なところよくわかりません。

無知でも阿呆でも関心を持つことから

としても、誰が良いとか悪いとか抜きに政治としてもっとクリアにもっとオープンに出来ないかと無知でアホな人間として私は疑問に思います。

そもそも何故基地は必要なのか?
番組では、北朝鮮の核保有の問題や、中国が軍事力を付けてきているなどと言っていましたが、軍事力を無くせば戦争はやりようがないと思います。

大人になったはずなのに

いまだに戦争によって解決しようとする人間がこの世の中にいるとは思えません。武器を見せつけて威嚇するようなイキッた中学生のようなダサい大人が今の時代のこの世の中にいるとは到底思えません。

たとえ、アメリカが軍事力をすべて放棄したからといって、攻撃されるでしょうか?たとえばそこで中国やロシアが世界のリーダーに手を挙げたとして、世の中はアメリカを弱くなったと評価し、軍事力を掲げたリーダーについていくでしょうか?

これまでの歴史の中で戦争を誘発したような過激な指導者が現れることは、現代の世論の中では考えられないと思います。

なかなか答えや結論が出ない「持つこと」への意味

今の世の中で戦争は必要が無く起きないのだから、威嚇や喧嘩の為の基地や武器は全く必要がないと思います。
暴力や脅迫は逮捕されるのに、なぜ国家として攻撃し銃刀法違反のような武器を持つことは逮捕されないのだろうと思います。

どこの国も軍事費は税金から出ていると思います。
これだけ、問題山積みの社会において、莫大な税金が起こりもしない戦争の準備に使われることに納得する人はいるのでしょうか。

世の中が、もっと未来の子供たちが幸せになれるように時間とお金が使われていけばいいのにと心から願いたいものです。


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