観光名所と宗教

観道楽

日曜日の夕方に放送している『世界遺産』という番組を「さすがCanon」という映像に感激しながら、なんとなく観ていました。
その内容には、特に関心はありませんでしたが、なんとなく思ったことがあります。

日本も法隆寺・東大寺・金閣寺等々

世界中にある観光名所と呼ばれるところは、教会や寺院など宗教にまつわる建造物がほとんどではないか?
多種多様にあるそれぞれの宗教が歴史というか人類のベースになってきたの?と考えてしまいます。

日本にいると、宗教の違いによるルールみたいなものを感じることはほとんどないと思います。
最近は、レストランのメニューなどで食材が配慮されることも多くなったと聞きますが、普段意識したことはありません。

手法や労力を考えると複雑な感情が

世界遺産になっているような建築物が、すべて人の手で行われたことを考えると、正直ぞっとしてしまいます。
今でこそ、重機などの技術進化によって、人力を抑えた建築が可能だと思いますが、あの時代のあの建造物は想像をはるかに超えた労働があったと推測できます。
沢山の人の命が犠牲となって、宗教は支えられたのだと思います。

信仰や思想がヒトの心身を支えているのでしょうか?
しかしながら、世界では思想の違いから争いごとが絶えないと思っています。
それは、それぞれの神様として、良しとしているのでしょうか。
それぞれの神様は、「やっちゃえ」とか「奪っちゃえ」と納得しているのでしょうか。

信仰や思想を持つことは、良い事だと思います。
でも、信仰や思想は個人の中にあるものであって、人に強制したりするものでは無いと思います。

ナチュラルな思想

ハワイが楽園と言われるのは、その思想かもしれないと考えることもあります。
神に感謝。
大地に感謝。
それ以上でもそれ以下でもない。
感謝の気持ちが自分を支える。

『○○しなければ……。』の発想が、思いもよらぬ制限やルール、そしてそれを他者に無理強いしてしまうことがあるかもしれません。

わたしの好きな観光とは、その土地の自然や、食べ物に触れることです。
そこに、信仰や思想が入ってくると、少し物怖じしてしまいます。
人の思いや考え方に、勝手に土足で上がりこんでしまうイメージです。

それだけ、人の心の中に大切に思われているものがあって、決して外へ発せられているものではないと思います。
世界遺産になっている建造物には、たくさんの人の思いが宿っていると思います。礼儀をもって立ち入りたいと思います。


*****************************

↓ ランキングに参加中です ↓
にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
にほんブログ村
*****************************
タイトルとURLをコピーしました