「俺たちの職業はな、社会的地位が低いんだよ。わかるよな。」
東京で修行していた会社の社長が悔しそうに話していたのを、30年経った今でもしっかりと覚えています。
「地位を上げるんだ。じゃなきゃ、やってられないだろう。」
社長はいつも真剣にそう話していました。
職業の社会的地位とは?を考え続ける
修行後、わたしは教わったことをもとに開業をし、その後の約20年間その業種に携わってきました。
その間に、その業種は何度もプロフェッショナルや情熱大陸などで取り上げられることもありましたが、社会的地位が上がったという気はしませんでした。
初回登場の反響が大きかった方の
先日のプロフェッショナルで取り上げられていた、清掃員の新津春子さんは言っていました。
「清掃という仕事は、地位が低いから誰も挨拶を返してくれないし、声を掛けてもらえることもない。」
「誰でも出来る仕事だから。」
「人に認めてもらいたい。だから、今より、もっと極めて清掃のプロになる。」
取材を受ける映像の中の新津さんは、ずっと笑顔でいましたが、その話をする時だけ哀しげでした。
どこからくる位置づけなのか?
一体、社会的地位の高い職業とは、どのように位置づけられているのだろうかと考えてしまいます。
あるいは位置づけではなく、一般の人々の潜在意識からの偏見なのだろうか?
政治家や医者、弁護士、銀行員。
潜在的に社会的な地位が高い職業は想像できます。
学歴が高い人が就くような職業だからでしょうか?
高給取りだからでしょうか?
その潜在意識が定着したのは100年くらい前でしょうか?
では、今後の100年くらいたった頃も同じでしょうか?
時代の流れと共に変化していく?
国会議員や政治家、公務員については、年棒の自己申告制となり、その約束した1年間の仕事内容が納税者に厳しくジャッジされる世の中になっているかもしれません。
その際は、適正な人数が割り出され、大幅な人員削減は免れなくなるかもしれません。
弁護士や税理士、会計士、そして多くの銀行員や証券マンはAIにとって代われ、今の地位を維持できなくなるかもしれません。
年々、異常なほどに年俸が高騰していくスポーツ選手は、選手生命が短いからという理由からくる高給が通じなくなるかもしれません。
普通のサラリーマンが退職後の準備に迫られることと同じように、プロのスポーツ選手も現役で活躍しながら引退後の仕事の準備や勉強をすることが当たり前の世の中になるかもしれません。
最終的には従事者希望数との反比例?
モノを作る、モノを売る、モノを運ぶ、モノをきれいにする、そういった社会的地位が高いと思われていないような職業が、最終的には重宝されるようになり地位が上がるかもしれません。
日本人は、まじめで勤勉で努力家という事が、世界から評価されてきたと思っています。
その日本人が作り上げてきた職人の技ともいえる、モノに携わる職業が蔑ろにされないように願うばかりです。
今日も暑い中、建築の現場や環境においてプロの技で日本を支えている人たちがいます。
そういう人たちがいて、モノが支えられているという事に、高学歴や高収入の人たちにも深く理解してもらえることを願います。